【就活・業界研究】商社業界分析 : 商社とは?歴史からみる魅力
当記事では商社の業界分析の第一歩となる『商社とは何か』について考えていきたいと思います。
商社とは一体どんな業界なのでしょうか?
多々ある業界の中でも、抽象的すぎてイマイチぴんとこない業界の1つなのではないでしょうか。
それもそのはず、商社は幅が広すぎるのです。
しかし、この記事を読み終わる頃には、『なるほどこれが商社か』と理解していただけるように解説していきます!
商社業界研究 : 商社とは?

商社って耳にしてもパッとしないよ。。。
商社は少し理解に苦しむ業界じゃな


これから詳しく商社について見ていくぞ!

商社とは?
商社とは一旦どんな業界なのでしょうか?
公式における商社の定義とは
金融機関や事業会社,生産会社と区別して,商品の売買を業とする会社などをさしていうが,一般にはメーカーと区別するための通俗的な用語である。専門商社と総合商社に大別される。法律上は本来商行為その他の営利行為を業とする目的で設立された社団法人 (商法 52条1項,54条1項) であり,民事会社と対立する概念である。現在では商法が民事会社にも商事会社の規定を適用しているから,法律上両者を区別する意味はない。
参考 : ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典



これだけで頭の中で商社をイメージさせるには少し難しいですね。
少し簡単に考えていきましょう!
商社をズバリ一言でいうと『 なんでも屋 』です。
なんでも屋。。。イマイチぴんとこない表現ですね。
よく商社を表現するときに使われるのが
『カップラーメンからミサイルまで』
『インスタントラーメンからロケットまで』
などなど。
一体なぜ商社はなんでも屋と呼ばれているのでしょうか?
『商社 = なんでも屋』の理由
商社をなんでも屋と呼ぶ理由の1つにその業界がカバーする幅の広さがあります。
先ほどの定義でも『商売の売買』とはなんだ。。。
と疑問に持った方も多くいらっしゃったのではないでしょうか?
商社の原点は物流であり、商品を買い取って売り、その差額で儲けるビジネスモデルでした。
しかし、なんでも屋であることからも察しがつく通り、商社は事業の幅を拡大していきました。
現在の商社の主な事業は以下の4つです。
- 物流
- 金融
- 情報
- 投資
これだけ見ると、『物流なの?』『金融なの?』『IT系?』『投資。。。』
色々やっていることはわかりますが、イマイチ『商社とは何か』という軸の部分を理解するには厳しいと思います。
以下では、いかにして『商社ってこんな業界なんだ』と理解していくのかについて解説していきます。
商社を深く理解するには?
商社という業界を理解するには、ズバリ『 歴史を読み解く 』必要があります。
先ほどもお伝えした通り、商社の原点は物流です。
しかし、現在における商社はなんでも屋になっています。
つまり、物流企業からなんでも屋に至るまでには様々な変化があったはずです。
そこで、商社がどういった歴史的な背景を持って変化を重ねたのかという歴史を辿ることで商社の本質に至ることができるのではないかと思います。
そこで以下では、
- 商社の誕生
- 近代化の商社
- 戦前戦後の商社
- 高度経済成長からバブル崩壊までの商社
の3つの期間に分けて商社の歴史的背景を見ていくこととします。
商社業界研究 : 商社の歴史から読み解く
商社の歴史① : 商社の誕生
まずは商社の誕生からみていきましょう!
初の商社を設立させたのはかの有名な坂本龍馬です。
坂本龍馬は『 亀山社中 』と呼ばれる貿易商社を設立しました。
勿論需要があって設立したわけなのですが、一体どんな時代背景があったのでしょうか?
中高の日本史でやったかと思いますが、坂本龍馬が活躍するのは西郷隆盛との薩長同盟を組んでの江戸幕府の倒幕。
倒幕するためには武器が必要で、亀山社中はイギリスから軍需品や蒸気船を買取、日本に持ち帰るとそれを売り払うことで軍備を拡張した結果、倒幕に成功するのでした。
つまり、亀山社中は海外と日本の間で物流の仲介役となり、近代化の立役者となりました。
これが商社の始まりです。
商社の歴史② : 近代化の商社
商社は明治維新だけではなく、維新後の日本の西洋化の際にも大きく貢献します。
明治時代には西洋から多くの文化が日本に輸入されましたが、そこに貢献したのが商社です。
開国当時は、列強の力が強く、日本史でやったように列強に対する権力が小さい環境下にありました。
そんな列強と対等に肩を並べるためには日本も近代化を推し進める必要がありました。
グローバルに輸出できる日本産業はないだろうか。
そこでメインとなったのが日本の織物や生糸です。
その織物や生糸を大量生産して海外に輸出するには、現在の手作業ではなく西洋の近代的な技術が必要でした。
そこで仲介役となったのが商社です。
商社は西洋から近代的織機を輸入し、日本に取り入れたことで作業効率が上がり大量生産が可能になりました。
大量生産が可能になるとそれだけ多くの電力も必要になりますから、その時にも商社が仲介役となり西洋から発電設備を輸入しました。
その中心となったのが富岡製糸場です。
また日本の近代化は軽工業の次は重工業に進んでいきます。
ちょうど第一次世界大戦と重なると、西洋からの輸入が途絶え、輸出超過になると日本は戦争特需へと入っていきます。
この時の重工業を支えたのもまた商社でした。
石油や造船、鉄鋼の原料をゆゆ
商社が築き上げたネットワークで次々と日本製の軍需品を連合国へと輸出して利益をだしました。
この時中心となったのが八幡製鉄所です。
商社の歴史③ : 第二次世界大戦前後の商社
第一次世界大戦で戦争特需となったため商社は大きな利益を得ました。
しかし、輸出超過になると必ず反動は来るものです。
過剰に生産してしまった在庫が残り、経営不振に陥る企業が続出して景気が落ち込みモノが売れなくなると商社は大きな影響を受けました。
その中で商社も例外なく1920年代の不況に追い込まれていきました。
その後、第二次世界大戦に突入していくことは誰もがご存知であると思います。
第二次世界大戦前、最中は戦時中の国策によって商社は国によって動かされなくてはならないのでした。
日本は第二次世界大戦で敗北し戦後はGHQによって支配されます。
そのため、戦前戦後に関しては、商社独自の活動はできない状況下にありました。
商社の歴史④ : 高度経済成長からバブル崩壊までの商社
歴史は繰り返します。
倒幕時の商社結成以来、商社が力をつけたのはどんな環境下だったか思い出してみてください。
それは第一次世界大戦時の戦争特需の時代。
また、それは第二次世界大戦後も同じであるのです。
それが『朝鮮特需』です。
1952年に米ソ冷戦から朝鮮戦争に突入すると、日本はアメリカ側につき、輸出を積極的に行います。
日本はこれを機に経済回復し、独立をしていきますが、またしてもここで仲介を行ったのが商社です。
これによって商社は勢いづくことができました。
そして東京五輪を迎え、日本は高度経済成長を迎えるとその勢いのままバブルへと突入していきます。
高度経済成長を迎えると日本全体の景気がよくなり、メーカーも積極的に海外へと進出するため、商社はいらないのではないかといった『商社斜陽論』が浮上してきます。
しかし、その一方で商社は長年の間、海外と日本をグローバルにつなぎ合わせた情報と各国企業との繋がりがあります。
高度経済成長でプロジェクトの規模が大きくなると、なおさら商社のそのような力が必要となりました。
商社によってプロジェクトに必要な企業を集められ、そこに必要な資金調達を行うなど活躍を見せました。
その後バブルに差し掛かり活気付いた商社は、輸入した商品を自ら販売するほか、投資も行っていきました。
まとめ : 商社は何でも屋!
いかがでしたか?
商社の歴史を辿ると、倒幕・明治維新の『物流』によって商社は日本が成長するために必要な物を海外から取り入れるための、またある時は日本の製品を海外に届けるための橋渡しの役割を担っていました。
それが戦後になると、過去から蓄積されたネットワークをもとに得られた『情報』を提供したり、資金調達をする『金融』面でも活躍していきます。
高度経済成長からバブルまで活気付いた時代には投資も果敢に行っていきました。
これが現在商社が主に『物流』『情報』『金融』『投資』を事業の中心としており、『なんでも屋』と呼ばれる所以となっております。
別記事では、商社の種類や、主要企業、より具体的な仕事内容などを解説していきたいと思います!
最後までお読み頂きありがとうございました!